赤坂真二「「つながり」をつくる「つかみ」の技」

『授業づくりネットワーク』(学事出版)2009年1月号特集
「お笑いの世界に学ぶ4つの教育技術」
「つながり」をつくる「つかみ」の技
赤坂真二(新潟県・大学)
1965年新潟市生まれ。学校心理士。19年間の小学校勤務を経て四月から現職。
著書『「友だちを傷つけない言葉」の指導』(学陽書房)『”荒れ”への予防と治療のコツ』(日本標準)など。


 教室における「つかみ」とは、子どもの前に立ち、まず最初に行う働きかけのことである。

1 ボケる

 月曜日の朝の会。休日明けでいかにも眠そうな子どもたち。「次は、先生のお話です」と日直がいつものフリを私にする。そこで私、「はいドーモー、赤坂デース。今日もね、いつも通り、学校の教師ってことで、やらせてもらってますけどね。昨日は、日曜日でしたね。先生、珍しい家族に会ったんですわあ。ナントね、家族の名前がみんな魚っぽいんですわ・・・」と子どもの反応にお構いなしに、一方的に話す。あちこちで「サザエさん?」とささやく声。すると、何人かの子がニヤニヤし出す。そこで、一番前の席の子どもに言う、「ミホ(仮名)ちゃん、いい加減にしなさい!と突っ込んで、突っ込んで、でないと先生、この話オチがないのにやめられない」。
 少し前に、日本屈指のお笑いティーチャー土作彰氏と吉本を見に行った。トリは、大御所の宮川大助&花子。花子氏の圧倒的なしゃべりはテレビでも十分に迫力があるが、ライブのそれは比べものにならない。こっちが笑っていようがいまいが、ガンガンとしゃべる。いつの間にか、彼女の話術にはまってしまう。大変な衝撃を受けた。子どものテンションが低いとちょっとムッとしてしまいがちだったが、それ以来、子どものテンションが低かろうが高かろうが、ボケてしまえと思って、こんな朝の話をするようにした。ときどきでいい。毎回やったら子どもも飽きてしまう。私が朝からこうしてボケると「先生、余計なことを言ってないで授業、しましょ」となる。私は、「あ、大事なことを言い忘れるとこだった」と連絡を始める。思い雰囲気の教室も、少しあたたまる。
 教室ではボケるチャンスはたくさんある。土作氏が、大仏のマスクで「奈良の大仏」の授業をする話は有名だが、私は武士の授業はサムライヅラをかぶってやる。金髪アフロのヅラに眼鏡は、説明をするときの博士役の必需品。節分の日は、オニの格好で教室に入る。その格好で朝廊下を歩いていたら、朝の会をやっていた別なクラスの低学年の子どもが一斉に出てきてまいった。「コスプレ」は、コストがかかり持続性は弱いが、インパクトはある。一瞬で子どもを惹きつける。六年生を送る会でやった「白塗りに殿様」のスタイル。「先生がそこまでやってくれるなんて嬉しかった」と卒業生が言ってくれた。感動を生むこともあるらしい。
 ボケることのおもしろさは、学校においてはその「意外性」にあると思う。学校はまだまだ「真面目さ」が土壌にある。それは極めて健全なこと。だからこそ、ボケが光る。他の学校に飛び込み授業に行く。子どもたちの前で自己紹介をする。私は、折句でする。次のように。「えー皆さん、初めまして。赤坂真二です。でも、本名はもっと長いんです。でも、あんまり長いから、短くして赤坂真二と名乗っています。本名、知りたいですか?」と聞けば、間違いなく「知りたい!」と笑顔と共に返ってくる。
そこで、「私の本当の名前は、『あ』かるくて、『か』わいくて、『さ』わやかで、『か』っこいい、そして、『しん』じられなくらい、『じ』ょうだんをいうおとこ、と言います」と黒板に書きながら言う。低中学年なら笑い声が上がる。六年生でもニヤニヤしてくれる。ノリのいいクラスなら、名前を少しずつ消しながら、何度も言ってもらう。全部消しても言えたときは、満面の笑みで「ありがとう」と言う。初対面でも、かなり距離が近づいている。

2 辻斬り

 笑いのジャンルに「サイレント」という芸がある。TBSの番組「ザ・イロモネア」をご覧になった方は、おわかりだろう。芸人が、ジェスチャーのみで笑いをとる。私のようなしゃべりの苦手な教師にオススメである。
 クラスの子どもが廊下の向こうから歩いてくる。先生方ならどうするだろうか。私は、「でやー!」と気合いとともに、「斬りつけ」る。もちろん、斬ったフリである。「斬られた」子どもはどうするか。五人のうち、四人は笑ってくれる。運がよければ、そのなかの一人は、「うわー」と倒れてくれる。是非、その子には「先生、君のこと大好き!」と言って握手をしてもらいたい。笑ってくれた子どもには、「また、斬って上げるね」と言って手を振って別れる。そのまま行こうとする子どもには「素通りかいっ!」とツッコミを入れておく。ときには不快な表情をする子どももいるかもしれない。そこは、よく見極めてやっていただきたい。相手を間違えると嫌われるので。
 わかってくると今度は、あなたが斬られるかもしれない。そうしたら、「うわー」と叫んで、バッタリ倒れてやる。子どもは大喜びである。ときには、体をかわし「フ、まだ青いな」とニヤリと笑ってやるのもよい。相手が数人で来たら、「でや、でや、でやー」と次々に斬り、最後に「フ、また、くらだぬモノを斬ってしまった」と「ルパン三世」(モンキーパンチ作)の五右衛門風に言うのもよい。子どもは、その台詞の出展を知らないが笑う。
 これは、しゃべりをほとんど使わないため、相手に注目をしなくてはならない。つまり、注目し合わないと成立しないやりとりである。相手との人間関係づくりにおいて、「常に注目、関心を払い続けること」は、鉄則である。笑顔を向けるとか、あたたかい視線を送るとか、「元気?」とか声をかけるだけでもいい。子どもはそれで十分に、教師の好意や関心を感じ取ってくれる。「辻斬りは、どうも・・・」という方は、無理にすることはない。しかし、私は、これをクラスに関係なく廊下ですれ違う子どもたちにしていた。ときには、あちこちで斬りつけられて職員室にたどり着くまでにヘトヘトになるが、全校の子どもたちと楽しい関係ができる。

3 怖い話

 喧嘩があった、お説教をしたなどで今日を一日楽しく終わりたい。でも、あからさまな楽しい話は、今一つ白々しい。そんなときは、帰りの会などでこれ。
 「先生が、子どものときの話なんだけど聞いてくれるかあ?未だによくわらなくて。そのとき、まだ、兄と二人で一緒の部屋で寝ていたんだけどさあ、その日、宿題が終わったので、布団に入ったんだ。兄も宿題があるとかで、先生が寝るときには、兄はまだ勉強机に向かっていたんだ。夜中に、バキッて音がして、目が覚めたんだ。目覚まし時計を見たら、何時だったと思う?ぴったり午前二時。それで、周りを見渡すと暗いはずなのになんとなく見えるんだ。それで、なんか動く気配がしたので、兄の勉強机の方を見ると、兄が机の下に頭を潜らせるようにして何かをしているんだよ。何してるのかと、声をかけようとした、その瞬間!(間を空けて、そして、少し大きな声で)何と、兄が布団に寝ていたんだよ!じゃあ、アレは誰!」子どもたちは、息をのむ。「次の日の朝、兄にそのことを言うと、『は?』って笑われたんだけどね。それ以来、兄にも先生にも何もないけどね、未だに不思議なんだよ。」そう、怖い話である。子どもは怖い話が大好きである。何の脈絡もなく話しても、怖い話なら聴く。少し斜に構えた小学校高学年の女子だって、興味津々で聴く。怖い話を教室でするには、少々の配慮がいる。私は、「①怖すぎないこと②残酷でないこと③最後にほっとできること」を心がけている。怖い話が苦手な子どももいるからだ。子どもが、喜んで聴くなら怖い話でなくてもいい。教師が最も得意なことを話せばいい。
 フジテレビの「人志松本のすべらない話」を見ていると、よくもまああれだけのネタをもっているなと感心する。もちろん、番組用に考えているのだろうが、私もああいうすべらない話をたくさんもちたいと思う。教師の無駄話で教室の空気が変わる、そんな話術に憧れる。

4 笑いのもたらすモノ

 新採用の頃、有田和正氏の講演会にでかけた。とても楽しい時間だった。九〇分間があっという間だった。それからというもの、講演をお聴きするのもご著書を拝読するのも楽しみになった。有田先生から見たら私は名もない一教師であるが、私はすっかり有田先生のファンになり、有田実践を学ぶ気になった。一度楽しいと思うと、それに対する期待感をもつようになる。何よりもその対象とぐっと距離感が縮まる。期待感や近い距離感は、なぜ、もたらされるのだろうか。それは、安心感が生まれるからではないだろうか。人は、危険なモノは本来回避する。しかし、心地よいモノには近付こうとする。
 上記のようなお笑いを応用した教育実践は、笑いや楽しさを媒介にして、子どもたちに安心感をもたせる。そして、それをもたらした対象、つまり教師や、それを分かち合った者たち、つまりクラスメートとの距離を縮める。お笑いは、雰囲気づくりにとどまらず、教室に人と人との「つながり」をもたらす重要な要因と言えるだろう。

(この文章の掲載に当たっては、執筆者および『授業づくりネットワーク』編集部の許可を得ています)

Published: 9月 27th, 2010 at 23:40
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