第2章

藤野賢治「学校教育における「笑い」の導入」
(2003年度 早稲田大学卒業論文)


第二章 「笑わせる」ことの教育的意味

第一節 「笑わせる」とは

 「笑う」ということは、第一章で見てきたように人間の様々な感情表現方法であったが、「笑わせる」ことは感情表現ではない。なぜなら「笑わせる」とは他人が「笑う」ように意図的に働きかける行為であるからだ。そのためには笑いが起こる原因を考えなければならない。第一章の第一節の定義で扱ったショーペンハウエルの言う「概念と実在のズレ」、またはフロイトの言う「二つの表象方法の滑稽な差異」とはわかりやすく言うとどのようなことを差しているのかを明らかにする必要が出てくる。京都外国語大学教授の福井直秀氏は著書『笑いの技術』1のなかで笑いが起こる原因について「これまでの話しの展開から当然次はこのようになると思っていたら、突然全く別の結果が示される」からだと述べている。ショーペンハウエルの言う「概念」と「実在」に福井氏の解釈を加えるならば、前者が「見る側の考えている展開」で後者が「予想違いの結果」を差していることになる。そう考えると、人を笑わせるためには、「実在」を意図して作りかえる必要がある。つまり、見る側の考えている展開を認知し、それから予想されることと違った結果を提示することができなければならない。言い換えると、笑わせる側の作った展開が見る側の予想した展開を裏切ることが笑わせる行為である。つまり、技術である。他人を「笑わせる」という行為は、その技術を身につけなければできない行為である。思わぬ自分の行為が他人を笑わせることがあるだろう。例えば、学校の教室に入ったらクラスの者が笑っている。よく見たら不注意でズボンのチャックが開いたままになっていた。この状況は他人を「笑わせ」ているのではなく「笑われ」ていることになる。あくまで、意図的に働きかける技術でもって他人を「笑わせる」ことは成立するのだ。
 私が中学生だった頃、吉本興業のダウンタウンという漫才コンビがメディアを賑わせていた。彼らは最初から笑わせる対象を若者に絞っていた。それには理由がある。先代の落語や漫才を見てきた世代に彼らの芸はうけなかったのだ。そこで普通であれば何をすればその人達を笑わせることができるだろうかと考えるのだが、彼らはその人達を笑わせることができないのではなく笑わせる必要がないと判断したのだ。自分たちの面白いと思う笑いを、誰でもが楽しめる笑いに合わせることをしなかった。実はこのような傾向は、1980年前後の漫才ブームの時にツービートや紳介・竜介の漫才から始まっている。紳介・竜介の漫才は読売テレビの調べた人気度調査によると、10代の男女に支持されている比率はそれぞれ51.4%と55.8%。50代以上の男女は、それぞれ7.3%、4.9%と若者限定の人気ぶりを示している。3同じようにダウンタウンは当時の若者(私も含めて)の笑いの感覚(つぼ)をうまく掴んだ。むしろ、ダウンタウンの笑いで笑えないものは感覚が鈍っているというレッテルを貼られることにもなりかねなかった。
 「笑わせる」技術に関して、ダウンタウンの漫才とそれまでの漫才とは何が違ったのか。先代の漫才は見るもの誰でもが分かる笑いを追及してきたと言える。老若男女限らず多くの人が理解できる話の運びと落ちで漫才を作った。また、昔は芸人の師弟関係が非常に強く、弟子は師匠の舞台を見て勉強しその芸を受け継ぐという考えが強かったので、新しい分野の笑いに挑戦するよりもどれだけ師匠の笑いに近づけるかというのが目標だった。また、漫才芸人は青や黄のような派手な衣装を着て、舞台の中央まで走って出てきて漫才を始めるという形が主流であった。この形は漫才を自分たちが見せるというより、お客さんに漫才を見てもらうと言う姿勢の表れであると言える。しかし、ダウンタウンは漫才をする時は、普段着を着てゆっくりと舞台中央まで歩いてきて漫才を始める。彼らは師匠の芸や形を受け継ぐのではなく、自分たちの面白いと思うネタを理解できる人だけ笑えばいいという姿勢で漫才をお客さんに見せていた。当時の若者や先輩の芸人はそのような彼らの笑いに対する姿勢を認めざるを得なかった。彼らはそれほど人を笑わせる才能を持ち合わせていた。
 「誰でもが楽しめる笑い」と「ダウンタウンの笑い」の違いは次のように解釈すればよいだろう。お笑いには「ベタ」とよばれる定型の笑いを取る方程式のようなものがある。例えば、人前でスピーチをする時にお辞儀をして壇上のマイクに頭をわざとぶつける、という行為は、お決まりの冗談として笑うことはできるが、新鮮な感覚は覚えないだろう。これが「ベタ」な笑いだとも言える。しかし、「ベタ」だと判断する基準は個々人が判断するので違っているので必ずしもそうであるとも言えない。また、「ベタ」の内容は時代によって変わっている。その時代によって新しい発想であれば「ベタ」ではないし、多くの人が見たことのある笑いの発想であれば「ベタ」と呼ばれる。つまり「ベタ」な笑いは多くの人にとってある程度想像のつく発想なのである。その分、見る側が理解しやすい笑いであるとも言える。それに対してダウンタウンの笑いは多くの人が想像のできない盲点をつく笑いである。それは人々の潜在意識の中に刷り込まれている記憶の断片のくだらなさから生まれてくるものである。それゆえに見ている側はある程度深読みして想像力を働かせないと面白くない。だからその笑いを理解できない人は想像力が足りないとも言える。ダウンタウンの笑いは見る側の技量も試されているわけである。

第二節 「笑わせる」技術を得るために

 1.笑わせる技術の基本
 まず、人を笑わせるためには、基本的にフリがあってボケがあってツッコミがあることが必要だ。フリとは「見る側の予想する展開」を作ること、すなわち見る側に次に来る言葉、話の展開などを想像させるためのプロセスだ。フリは短いものから長いものまである。その長さは見る側に展開をどこまで想像させたいかに影響してくる。ボケとは、フリによって作られた、見る側の予想した展開を裏切ることである。裏切る方法はいくらでもあるが、あまりにも見る側の予想と違う結果になると笑えないものになってしまう。あくまで予想した展開と「ズレ」ていることが面白いからだ。ツッコミとは見る側の視点からのフォローのことである。ツッコミがなくてもボケが伝われば人を笑わせることは可能である。しかし、ボケが伝わりにくいときに分かりやすく説明することや、ボケが伝わったときにも見る側の言いたいことを代弁することによって笑いの相乗効果を生む作用として有効な技術になってくる。普段の生活の中でフリ、ボケ、ツッコミの三拍子そろって人を笑わせている光景はあまり見られないかもしれないが、それは相手のことをよく知っていることがフリの役割を果たしているからだ。相手に対して抱いている先入観がそうである。例えば、いつもは口数少ない子が突然饒舌になったら面白い時は、口数が少ないという先入観が裏切られるから笑えるのだ。しかし、ここでとりあげる人を笑わせる技術は、演芸に近い技術つまり初対面の相手であっても笑わせることができる技術を見ていきたい。
 フリとボケとツッコミの役割が分かったところで実際に人を笑わせることは難しい。人を笑わせるためには、笑いやすい場の空気をつくることも重要である。言い換えれば、「今からあなたたちを笑わせますよ」という合図を見る側に示す作業だ。この作業をしなければ、見る側が面白いと思ってもその場で笑うことが出来ない空気を感じ取って笑いをこらえてしまう。例えば、式典のような厳かな場で突然気の利いたジョークを言ったとしても、見ている側は面白いけど笑いをこらえているという状況だ。そのままの雰囲気では、見る側はその式典が笑うのにふさわしくない場という考えがあるので笑いが伝播しないからだ。その場の固い雰囲気から、気持ちを解きほぐすような一言を加えて見る側に笑ってもよい場なのだという認識を与えなければならない。空気というのは、披露する具体的な状況と場所によって変わってくる。披露するのはいつなのか、誰の前で披露するのか、人数はどのくらいなのかという状況と、ホールなのか、教室なのか、宴会なのかという場所の2つの要素を考える。そして状況と場所に合わせた空気づくりに努めなければならない。落語家や漫才師がいきなりネタに入らずに、はじめにお客さんに対して自己紹介や世間話などの問いかけから始めることが多い。これは、舞台に出た演者が今日はどんな世代のお客さんがいてどれくらい笑いやすいかなどを汲み取るための行為である。さらに、演じる側のことを少し知ってもらい安心して笑ってほしいという空気をつくっているのだ。その場に来ている人が笑うことを目的に来ている場合であっても、見る側の緊張を解きほぐす作業は一つの技術として大切なことである。
 2.フリ・ボケ・ツッコミの技術
(1)「ストーリー破壊型」の笑いの場合
 では、実際にフリとボケとツッコミの手法を考えていきたい。見る側の予想する展開を示すフリを作るためにはまず全体の流れを決める。全体の流れの作り方には演劇の手法を用いる。演劇の手法とは、現代演劇家の平田オリザ氏によれば4次の順番で考える。

I  場所を決める。
II  背景を考える。
III 問題(主人公たちが直面する運命)を考える。
IV 登場人物を考える。
V  プロット(話の筋)を考える。
VI  エピソード(プロットの中で話される内容)を考える。
VII 台詞を書く。

 <事例1>を見てほしい。これはダウンタウンが大阪のお笑いコンテストで新人賞を受賞したときの漫才5の台本の書き起こしである。<事例1>の全体の流れは、Ⅰは電話口、Ⅱは世の中に物騒な事件が多いということ、Ⅲは子どもが誘拐されたこと、Ⅳは親と犯人、Ⅴは電話口で身代金を要求するやりとり、Ⅵは犯人がうまく身代金を要求できないことが、そしてⅦの台詞という風に当てはまる。そもそも<事例1>には「誘拐犯の電話」の話という既存のストーリー展開が存在している。見る側には、「子供の誘拐→身代金の要求→身代金の受け渡し方法の提示」のような「誘拐犯の電話」で話されるストーリー展開が一連のフリとして頭の中に入っているので、それぞれのフリについて次に来る言葉、話の展開を予想することになる。つまり、この漫才は「誘拐犯の電話」という既存の展開に、見る側の予想する展開からズレを作ってそこにツッコミを入れるといった繰り返しから成り立っている。それは例えば、「桃太郎」の話から「おばあさんが川で流れてきた桃を拾ってくる→桃から生まれた桃太郎はきび団子をもって鬼退治に出かける→旅の途中でお供を連れる→鬼を退治する」といった展開からそれぞれズレを作っていくのと同じ方法である。その方法を「ストーリー破壊型」とここでは呼ぶことにする。それではボケの技術について一つ一つ見ていこう。
                 <事例1>

 松本(以下M):最近物騒ですよねー。何が物騒って誘拐ですよね。
 浜田(以下H):あれたち悪いですよね。小さい子連れてってね後で電話してきよるんです。身代金とる言うて。
 H:もしもしー。
 M:身代金とるぞ。                                                         (※1)
 H:何やねん。ストレートすぎるやろが!最初に言うことあるやろ。
 M:もしもしーおまえんとこにな小学校2年生の息子おるやろ。
 H:はい、いますけど・・・
 M:うちには小学校6年生がおんねん。                                            (※2)
 H:何を言うとんねん!おまえんとこ何年生おってもかまへんねん、聞きたーない!誘拐犯やろ。言うこと言え。
 M:おまえんとこの息子な、うちで預かってんねん。
 H:え?
 M:うちで預かってんねん。
 H:えっ!?
 M:驚くことあれへん、あんたが朝預けていったんやないか。                               (※3)
 H:何を言うとんねん!誘拐犯やからなんぼとるって言わな。近所のおばはんやないんやから!なんぼ欲しいの。
 M:身代金持ってこい。
 H:はい。
 M:うち2丁目の松本や。                                                     (※4)
 H:名前言うてどないすんねん!おるとこ言うてどないすんの!遠い所言えよ。
 M:もしもし、チェコスロバキアの・・・                                              (※5)
 H:遠すぎるやないか!チェコスロバキアまで行くのか?間をとれ。家とチェコスロバキアの。
 M:2丁目の電話ボックスあるの知ってるか?あそこがうちとチェコスロバキアの中間や。              (※6)
 H:そうなんですか。
 M:金額言うぞ。500万や!
 H:え?500万ですか・・・
 M:高い?
 H:えっ・・・?500万ですね?
 M:無理?
 H:ん?500万ですね?
 M:そんならええわ。                                                       (※7)
 H:何でやねん!!欲しい金額持ってこいって言えや!
 M:もしもし、がたがた言うな!500万持ってこい!
 H:500万ですね。
 M:500万や。それで周囲の目をごまかさなあかんから言うとおりに持ってこい。よう聞けよ。
 H:はい。
 M:緑のかばんに500万入れて白の紙で黄色のかばんって書いて赤のかばん言いながら置いてくれたら
   俺赤のかばん言いながら取りに行くわ                                          (※8)
 H:分かるかいな!!何でいちいち書かなあかんねん!青のかばんで持っていくわ。
 M:青のかばんで持ってこい。遅れんなよ!
 H:はい。
 M:遅れたら先行くぞ。                                                      (※9)
 H:どこへや!
 M:チェコスロバ・・                                                        (※10)
 H:2丁目の電話ボックス言うたやないか! 
 M:もしもし、絶対来いよ、ちゃんと来いよ、ちょっと待って(電話はずして)え?何?うん、分かった。
   (電話にもどって)もしもし、聞いて驚くなよ。お 母ちゃんが長電話するなってうるさいから切るわ。     (※11)
 H:もうええわ!

 (※1)は、電話の応答文句の裏切りがある。
 (※2)は、犯人の台詞から世間話が連想されるようになっている。
 (※3)は、犯人の台詞から近所のおばちゃんの話が連想されるようになっている。
 (※4)は、犯人が居場所と名前を明かすというタブーが使われている。
 (※5)は、遠いことに極端さがある。
 (※6)は、(※5)のボケへの上乗せがされている。
 (※7)は、犯人が身代金額を遠慮するというタブーが使われている。
 (※8)は、周囲の目のごまかし方が極端になっている。
 (※9)は、犯人の台詞から友達の会話が連想される。
 (※10)は、(※5)と(※6)のボケへの上乗せがされている。
 (※11)は、犯人の台詞から子どもが親に言われるようなことが連想される。

これらのボケを生み出す技術を類型化してまとめると
  会話の流れの裏切りがある。
  ギャップのあるものを連想させる。
  タブーを使う。
  話の極端さ、おおげささがある。
  同じボケをひっぱる。
となる。「ストーリー破壊型」の漫才やコントは分かりやすく作りやすい。なぜなら一度話がそれても次の展開はもともと作られているのでそこに戻ってこればよいからだ。その分、話をそらせすぎることができないので自由度が低い。最後にツッコミの技術を見ていこう。この漫才では一つ一つのボケに対して正確にツッコミが入れている。ツッコミの話者は見る側の視点から、話の流れの中でフリから描いた、見る側の予想を裏切られた内容について言及している。その代弁によって見る側は安心して笑うことができる。さらにいえば、台本からは分かりづらいが、ボケに対するフリが長いほど、見る側の展開の予想もどんどんと構築されているので、ツッコミでフォローすることによる笑いの相乗効果は大きくなる。
(2)ストーリー作成型の笑いの場合
 <事例2>を見てほしい。これはダウンタウンが看板のテレビ番組6の中で放送したコントの書き起こしである。<事例2>の全体の流れは、Iは病室、IIは病気が回復せず子どもが落ち込んでいること、IIIは有名人がお見舞いに来てくれること、IVは子どもと親2人と有名人とマネージャーの5人、Vは元気のない子どもを勇気づけるために親が有名人をお見舞いに呼ぶこと、VIはお見舞いに来た有名人と子どものやりとり、そしてVIIの台詞という風に当てはまる。<事例2>は<事例1>と違って「ストーリー破壊型」のような既存の展開はない。このコントでは世界1位と呼ばれた人が登場する。そして、結局最後まで黒人が何の世界で1位であるのかを明かさない。しかし、あたかも「世界○位」と言う肩書きだけのランキングが存在しているかのように会話が進められているところにこのコントの面白みがある。つまり、このコントのフリは「世界1位がお見舞いに来たらどうなるか」というところである。子どもにどのような質問をされるか、世界何位まであるのか、どのようにランキングが変動するのか。作る側の想像は膨らむ。しかし、見る側は始め展開の予想がつかないので、一度その場での展開を見失うとわかりにくいコントになってしまう。このように、新しい設定から展開を作っていく方法を「ストーリー作成型」とここでは呼ぶことにする。「ストーリー作成型」では「ストーリー破壊型」のようにボケの技術をパターン化することは困難である。なぜならストーリーのズレそのものが設定から存在しているからである。そのストーリーの中では自由度が高いため、展開を作るのも簡単なことではない。さらに<事例2>の特徴として、はっきりとしたツッコミがないということである。ツッコミをなくすことによって、見る側が何の世界1位であるのかという想像力に任せていることがうかがえる。
               <事例2>

<病院のベッドにいる子ども(以下子)と、そばで立っているお母さん(以下母)と、お父さん(以下父)>
  子  パパ
  父  ん?
  子  僕はもうすぐ死ぬんだね?
  父  バカなことを言うんじゃない。
  子  嘘だ!僕は知ってるんだ!僕はもうすぐ死ぬんだよ!
  母  何言ってるの!今日は世界1位の人がお見舞いに来てくれるのよ。
  父  そうだよ。
  子  嘘だ!
  母  嘘じゃないわよ。
  子  世界1位が来るわけないじゃないか!
  母  世界1位の人が来てくれるの。あっ。
 <マネージャー(以下マネ)に付き添われたオリンピックスーツを着た黒人(以下1位)>
 1位  やあこんにちは。(子どもと握手)
  子  ほんとだ!世界1位だ!
 1位  いやー今年はあやうく3位になりかけたんだけども。今年も1位だったよ。
  子  おめでとう!でもどうやって世界1位になれるの?
 1位  んー例えば世界5位がいるよね?しかしそいつが世界5位だったとしても僕は世界1位なんだよ。
     南米のシフソウのあたりじゃ私を8位だと言ってる男もいるようだけども。とんでもない。私は1位なんだよ。
  子  うん。
 1位  考えてみると17位から始めさせられたんだよ。
  子  そうなんだ。
 1位  あの頃が一番辛かった。よく12位の奴にいじめられたんだよ。 
  子  へえー。
 1位  その頃いつも9位の家に泊まっていたよ。
  子  そうなんだ。世界1位さん、握手してくれないかな?
 1位  うん。(子どもと握手)頑張るのだよ。
  子  してくれたんだね。
 1位  うん。カバレル?
 マネ  はい。
 1位  私は去年は何位だった?
 マネ  1位です。
 1位  今年は何位かい?
 マネ  1位です。
 1位  よしんば私が2位だったとしたら?
 マネ  世界1位です。 
  子  世界1位さん?僕も世界1位になれるかな?
 1位  (マネージャーと顔を見合わせて)はっはっはは。はっははっはは。
 <携帯電話が鳴る。マネージャーが電話を1位に渡す>
 1位  失礼。もしもし。何?私を2位だと言うやつがいるって?そいつは何位だ?
     7位の女だな?そんなに言っているのか?どんな言い方だ?わかった。すぐに行く。失礼するよ。
 <2人とも行ってしまう>

(3)偶然を意図的に生み出す練習
 このようにお笑いの作成法をストーリー破壊型とストーリー作成型とに分けて、それぞれの作成法を教えていくことができる。ストーリー破壊型では、既存のストーリーがあるので、具体的なボケを類型化することができれば、次は類型化されたボケのパターンに則って別の具体的なボケを作っていけばよいのだ。一度ストーリーがそれたなら、ツッコミによって既存の展開に戻す作業も可能になる。戻す作業も必要になる。例えば<事例1>の漫才のボケを生み出す技術のパターンを参考にしながら、設定を「誘拐犯の電話」から「悪徳商法の電話」に置き換えてみよう。
 

 A:迷惑と言ったら最近悪徳商法多いですよねー
 B:あれは腹が立ちますねーまた忙しい時に限って電話かけてきよるでしょ
   もしもしー
 A:買ってください                                  (※a)
 B:何やねん。ストレートすぎるやろが!最初に言うことあるやろ
 A:もしもし、今お時間よろしいですか?
 B:あ、ちょっと夕飯支度で手が離せなくて
 A:じゃあ台所で話しましょう                           (※b)
 B:いや、何で入って来れんねん!電話で何とか引きとめろや!
 A:もしもし、とっておきのお話があるんですが
 B:えっ!?本当ですか?
 A:ええ、本当です。こんなチャンスは2度とないくらいのねずみ講です (※c)
 B:そこを言ったらだめやろ!ねずみ講言うてるがな!
                                            (続ける)

(※a)は、誘拐ネタの(※1)と全く同じパターンを使っている。
(※b)は、電話という設定の裏切りがある。
(※c)は、業者のタブーを言ってしまう。
このように「ストーリー破壊型」ではボケの技術を同じくして新しい漫才やコントが作れたりもする。既存の展開を作り変える時、発想力の豊かな人は、頭の中で連想を繰り返す作業を行う。しかし、展開のズレとは頭の中で無作為に連想した偶然の産物である。その偶然を意図的に産み出すことによって、発想力に頼らなくても既存の展開を作り変える方法がいくつかある。そこで、「ストーリー破壊型」の笑いの作成法の練習として次のような方法を試みてほしい。
無理問答ゲーム
これは相手の言った発言に対して関係のない発言で返すゲームだ。例えば、「天気がいいですねー」「明日はカレーを作ってみようと思っています」「医者には行きましたか」「とってもさみしがりやなんです」のようなやりとりを繰り返す。このゲームをすることによって、既存の展開にとらわれない思考力を働かせる練習になる。
童話絵本の穴埋め
これは何でもよいので既存の童話絵本のストーリーのある部分を穴埋めにして、自分でストーリーをつけ足していく作業だ。例えば、桃太郎の話でおばあさんが川で桃を拾ってくる部分を「おじいさんは山で栗を拾ってきた。その栗を割ると中から桃が出てきた。その桃を割ると中から子どもが出てきた」という風に変えて次の展開へつなぐ。この作業は、既存の展開を壊す練習だけでなく、再び既存の展開に戻す練習にもなる。
 次のコントは<事例2>のコントを同じように設定を作り変えたコントの例である。

 (3人は股間に布を当てて縫い物をしている)
 1:(2に向かって)おまえ、何こそこそやってんだよ!見せろよ!
 2:やめてくれよー!(必死に布を隠す)
 1:別にいいだろうが、家族の前ではみせてんだろ!(見ると布に波縫いがしてある)
 2:ぐふぅ(泣く)
 1:なーんだ。まだ波縫いじゃねえか。
 2:き、君はどうなんだよう。
 1:(自分の布を見せて)波縫いだよ。しょうがないさ、日本人の7割は波縫いなんだから。
 3:(2人のやりとりを見て)がきどもが!くだらねえことでもめてんじゃねえよ。
 1:何だよ、おまえ!偉そうなこと言いやがって!じゃあお前はどうなんだよ?
   どうせ波縫いだろー。
 3:ほれ。(布を見せると祭り縫いがしてある)
 1:げっ!お前祭り縫いじゃねえか!
 2:(吐き気)
 3:おいおい、見せもんじゃねえぞ!
 1:見せもんじゃねえって、お前今自分で見せたじゃねえか。てゆーか俺こんな間近で祭り縫いしてるの初めて見たよ。
 2:うぅ、気持ち悪い…。
 3:気持ち悪いって何だよ!お前らだって祭り縫いするかもしんねえだろ!
 2:でも普通小六だったらなみ縫い程度じゃない?
 1:おまえ成長早すぎんじゃねーの?
 3:遺伝だからしょうがねえだろー
 1:ちょっと触っていい?(触ろうとする)
 3:いや、素材は一緒だよ!
 2:僕も触っていい?
 3:だから素材は・・
 2:じゃあ何が違うんだよ?
 3:それは・・・(照れ笑い)
 1:何だよそれー!教えてくれよう!
 3:また今度なー。
 2:何でだよ教えてくれよう!
   (3人笑いながらはける) 

このコントは<事例2>のボケの技術と同じで、「祭り縫い」という現象が何であるかは最後まで語らないところに面白みを置いている。会話のやりとりは思春期の子どもが交わすような運びで進めることによって見る側の想像を操っている。ストーリー作成型は始めの設定を考えるところから始めなければいけないので、作成法を教えるのは簡単ではない。しかし、ストーリー破壊型の作成法と基本は変わらず、偶然を意識的に生み出すゲームが役に立つ。ストーリー作成型の笑いの作成法として、次のゲームがある。
あいうえお作文
これは決まっている5~10文字くらいのお題のそれぞれの文字を頭文字にした話を考えるゲームだ。起承転結を考え最後の人は話の落ちをつけなければいけない。このゲームはストーリー作成型とは少し違っているが、その場でストーリーを作っていく練習になる。
言葉合わせゲーム
このゲームは、まず何人かで頭に思いついたままの言葉をそれぞれ紙に書いてもらう。その言葉は名詞、形容詞、副詞など、文章を作る要素となる言葉にする。次にお互いの書いた言葉を見せ合って自由につないで単語や文章を作っていく。その中で面白い単語や文章を発見していく流れだ。このゲームをすることによって、ストーリー作成型の出発となる設定を生み出す練習になる。
 いくつか紹介した「ストーリー破壊型」と「ストーリー作成型」の笑い作成の練習は、笑わせる技術を身につけるのに有効な手段である。笑いを生み出す作業は全て新しい発想から生まれるものではない。過去にある人が無意識的に思いついた笑いを分析し直してパターン化し、そこから新しい笑いに作り変えるのも笑わせる技術になるのだ。

第三節 笑わせることの教育的意味

 人を笑わせることを教育の場で指導することにはどのような意味があるのだろうか。吉本興業の経営する吉本総合芸能学院(NSC)7では、人を笑わせるための講座がいくつも設けられている。そこで行われている指導方法はおもに受講生の考えたお笑いのネタや演技についての助言いわゆるダメだしをすることである。それはその講座を受ける受講生がプロのお笑い芸人を目指すものであるから成り立つ方法である。学校の教育の場においては、NSCの講座と同じように生徒の才能を試す方法では指導として成り立たない。なぜなら教育の場ではお笑いの才能を差別化するのではなく、お笑いの基本的な作り方を指導するところであるからだ。そこで私が第二節で提案した指導方法をもとに、生徒たちに笑わせることを指導する教育的意味をここではっきりとさせる必要がある。
 笑わせることの教育的意味としてはまず、笑わせる技術を得ることによって生徒が評価される喜びを感じることにある。学校では、スポーツの得意な子、絵の得意な子、楽器の演奏が得意な子など勉強以外の分野で友達から評価を得ることが多い。何かに秀でていることに対して評価を得ることは、喜びを伴うものであり心の余裕をもたらせてくれる。同じように、学校で人を笑わせるのが得意な子も周りの友達から評価される機会も多い。人を笑わせることが得意なことが評価されることも、スポーツや絵や楽器の技術が評価されるのと同様に心の余裕をもたらすものである。しかし、学校教育の中で体育、美術、音楽の教科授業でスポーツ、絵、楽器の技術が教えられているように、笑わせる技術が教えられている場は学校教育の中に全くない。生徒の新しい一面をできるだけ見つけて心の余裕をもたせるためにも笑わせる技術は学校教育に取り入れられるべきなのである。
 次に、笑わせる技術を得る過程における教育的意味がある。その説明をする前に、演劇における教育的意味を述べた本から「演劇的知」についての紹介をしておきたい。哲学者中村雄二郎は『魔女ランダ考』8の中で、「演劇的知」という知のあり方について考察している。本書で述べられている「演劇的知」は「近代の知」との比較によって次のように要約できる。

 自然界を、科学によって認知する主体と認知される対象・客体とに分けることによって、普遍性と精密さを備えた「近代の知」は、人間の知や学問がある方向に純粋に自己目的化して発達していったものであるので、人間の存在を受け止めて世界へとつなぎとめている世界との多様な関係の束を断ち切ってしまった。それは、本来の重層的な現実と生きた現実との間にギャップを生み出したままの知として存在している。近代演劇には、近代の知の矛盾や無理が尖鋭にあらわれ、演劇が対話のうちに自足してはならないこと、演劇が心底の現実に向かって開かれていることが示された。そこから考え出される「演劇的知」によって開示されるのは、現実的なものと想像的なものとを結びつけ、人間と人間、人間と世界が有意味的に出会うことである。そして、「演劇的知」は世界のうちにあるすべての物事の徴候、徴し、表現について、それらに潜む重層的な意味を問い、私達の身に襲いかかるさまざまな危険に対処しつつ、濃密な意味を持った空間を作り出す知であるとともに、対象との具体的でかつ相互的な関係が、理論そのものにとって、決定的に重要でかつ本質にかかわる学問である。それこそが近代的知から排除されたものの豊かさを回復する。

すこし難しい文章ではあるが、要するに「近代の知」は人間によって客体化されたものであるから世界との結びつきを失ってしまった。そこで演劇によって現実的なものと想像的なものを結びつける知を獲得する必要がある、というのだ。このような「演劇的知」の視点から考えて、現代の日本の学校教育における知識が「近代の知」であることは否めない。学校教育は「近代の知」によって断片的な知識を「客体」として詰め込む教育であり、総合的な知識とのギャップを生み出した。そのギャップを埋めるためには知識をただの「客体」としてではなく、自らの活用できる「主体性」のある知識へと変えていく必要がある。
 そこで、知識に主体性をもたせる方法として、既存の知識を笑いに作り変える作業の重要性がある。既存のままの情報である客体としての知識よりも、見る側すなわち伝える側を意識して作り変えた主体性の入った知識のほうが断片的な知識を総合的な知識に近いものとして実感することができるだろう。例えば、お笑い芸人の爆笑問題が書いた『日本原論』9という本では、世の中のニュースを漫才の技術によって笑いに作り変えている。漫才の中でとりあげられたニュースは、爆笑問題独自のとらえ方から面白く話が展開されている。この時、漫才を作る過程の中でニュースをもう一度とらえなおすという作業が、ニュースの内容を自分にとって客体としての知識から主体性のある知識に変化させている。同じように、生徒にニュースの中からテーマを選んで漫才を作るように指示した場合、テーマから新鮮な発想を生み出すためには、見る側の認知度も考慮に入れる必要が出てくるので、テーマの客体としての情報を知るだけでなく、自分たちの視点をとりいれた主体性のある情報になっていく。しかし小学生に「アニメ」というテーマを与えると、もともと小学生の中に「アニメ」に対しての主体性のある知識があるので初めから笑いに作り変えやすいとは思うが、知識のとらえなおしという作業が行われない。逆に「政治」というテーマを与えてお笑いを作るよう要求しても、見る側も小学生なのでテーマに対する知識がほとんどないので笑わせることができない。生徒の興味が向いてかつ新しい発見をともなうテーマ選びが重要になってくる。最近CMで流行った「パンダの目は意外と鋭い」という事実で人がおかしいと思えるのは人々の知識の中に「パンダは大きくてかわいい動物」という客体としてのイメージしかないからである。事実を伝えるということにおかしみのある主体性を含ませているという現実は現代人の断片的な知識を象徴しているといえる。既存の知識に主体性を持たせること。これも笑わせることの教育的意味である。 

1 福井直秀著 『笑いの技術』 世界思想社 2002年 pp.55
3 木津川計著 『上方の笑い』 講談社現代新書 1984年 
 読売テレビのデータは本書pp.93-pp.94で紹介されており1983年のもの。
4 平田オリザ著 『演劇入門』 講談社 1988年
5 1985年に行われた第5回ABCお笑い新人グランプリでダウンタウンは漫才部門で最優秀賞を受賞した。漫才ネタの「誘拐」はビデオ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(1)~幻の傑作漫才全集パート1』(1995年バップより販売)に収録されている。
6『ダウンタウンのごっつええ感じ』1991年12月~1997年11月までフジテレビで放送された
7 吉本総合芸能学院(NSC) http://www.yoshimoto.co.jp/nsc/ 
 私は実際に通っている友人に講座内容の話を聞いた。
8 中村雄二郎著 『魔女ランダ考:演劇的知とはなにか』 岩波書店 2001年
 pp.93-pp.159
9 爆笑問題著 『日本原論』 宝島社文庫 1999年

Published: 9月 25th, 2010 at 12:37
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